足跡のない道を選んで

自分の好きなことや思ったことを書きなぐる備忘録です。

うしろ向きの楽しさ、について

 

 

世間が大変な状況になってきて、多分に漏れず自分の職場でも交代制のテレワークが始まりました。

具体的には出勤率を5割程度とするために係内でシフトを組むというもの。

とはいえ、システムが全く追いついておらず緊急で始まったので持ち出せる資料にかなり制限がある等問題は多々あります。

結局しわ寄せが通常勤務の日にきて残業を余儀なくされたり、自宅勤務用の資料や仕事のための仕事が発生している本末転倒な部分もありつつ。

それでも、精神衛生上はとてもいいです。

5月の連休明けまでの暫定措置とされているけど、これで仕事が成り立つ限りは平時でも続けて欲しいと思います。

 

 

タイトルの話

最近昔嵌ったものや機会がなく触れることが出来なかったもの(主に金銭面)を買い直しては少しずつ触れています。

自分の敬愛する漫画家桜玉吉氏が自身のエッセイ漫画内で用いていた

思いきりうしろ向きに楽しくなってきた、という表現がありました。

 

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幽玄漫玉日記 2より

 

押し入れにしまってあるレコードを引っ張り出して懐かしい思い出に浸る様は、対象に違いはあれど誰しもが共感を覚える風景だと思います。

初めて読んだ日からこのフレーズはいい意味でも悪い意味でも心に引っかかっていました。「うしろ向きに」という表現はこれ以上ないくらい適切な表現ではないかと思う一方でネガティブな意味も含んでいて、目の前の事から目を逸しているようにも捉えられるからです。

 

あの日からそれなりに年月が経って、色々考えることが増えました。

世間でいう"普通"に生きることはあの頃の自分が思ったより難易度が高く、現実と向き合おうとすると重くのしかかってきて、過去無数にあった選択肢から選んだ道や行動についての是非みたいなものが油断すると思考に入り込んで

きて……

結局様々なことから目を逸らしているだけなのではないか。自分が好きだったものは実はただの現実逃避だったのでは?その時間でなにかもっと他のことが出来たのではないか?などと得体の知れない恐怖や焦りに襲われたりしました。

 

 

 

こういった後ろ向きではなく、過去の趣味に触れ直す楽しさについて書こうと思っていたのでした。

 

昔ハマったものについてもう一度触れ直すことについて例を上げると

小学校低学年の時分に第三次スーパーロボット大戦を買ってもらった自分は、エネルギーや気力の概念を理解できず(そもそも読めない漢字が多かった)一度投げ出したあとに物心ついてから数年経てクリアした、ということがありました。

(今にして思うと最新作は他にも出ていたはずなのになんで第三次だったのか……)

その後また中高生ぐらいになってやり直したが、ある程度ストーリーや参戦作品を知ってから臨むことでより楽しめたんですよね。

 また MOTHER2など久々にやると親戚の家に行った時、仏壇の横に置いてある小さなテレビで従兄弟の兄ちゃんとやったなあとか、あの空気や匂いを思い出すのです。

 

 

勿論後ろを向くことだけでは駄目なんだけど、

久しぶりにそれと向き合う自分にはおそらくあの時無かった目線や視点があり、新しい発見があるはずなんだと。

作品とは全く関係ない部分で自分の当時の考え方などと向き合い、成長を認識するいいきっかけにもなるのではないかと。

 

うしろ向きに楽しむ事も大事なのではないかという自分に対する言い訳でした。

 

 

幽玄漫玉日記 2 (ビームコミックス)

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第三次スーパーロボット大戦

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  • 発売日: 1993/07/23
  • メディア: Video Game
 
MOTHER 1+2

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  • 発売日: 2003/06/20
  • メディア: Video Game